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つれづれ

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これもそれもあれもどれも

No.22

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おじいちゃんの家、おばあちゃんの茶室。

数年前に祖母と祖父が続けて亡くなり、ついによだかの祖父母はいなくなってしまった。祖父母の家は結構大きくて離れや庵とまではいかないが祖母の茶室があった。よだかはこの茶室がとても好きだった。

本格的なものではなくてあくまで家族だけで笑いながらお茶立てて楽しむ程度だけれど、祖母にお茶も教えて貰ったし祖母が少しだけ集めていた茶碗や棗なんかの道具もじっくり見せて貰っていた。

よだかは祖父よりも明確に祖母に懐いていて、理由は明確で祖父は会う度何か欲しいものは無いのかと聞いてきて何かをねだれと金を出すまで強いられた。よだかは物をねだるのが苦手でこれがとても嫌だった。反面、祖母はお茶の他にも鼓や絵葉書なんかを自分の趣味としてしっかり楽しむ人でお茶目な人で大好きだった。

祖父にはそうゆう思いがあるが、よだかがモノがわかるようになってからはそうゆう人だと割り切ることも出来てきて、普通に話もできるようになった。お盆に帰れば自然と戦争の話もしてくれた。祖父は通信兵で焼け野原になった東京を見ていると。たまたま体を悪くして入院してそのまま終戦を迎えたと。もう少し東京の空襲の話を詳しく聞きたいと言えばあんなものは知らん方がいいとものすごく嫌そうに吐き捨てられたのが忘れられない。だから結局空襲の話を聞くことはなかった。

祖父母の家の仏壇は立派で、まず帰省したら仏壇に挨拶して、朝と夜にも挨拶してとゆうことをマンション育ちで家に仏壇が無い子として育ったよだかでも自然とお仏壇はそうゆうものと覚えたのは帰省の度にちゃんとするようにと言われていたからだと思う。

一緒に住んでいた訳では無いから、柱に身長測ったような後は残ってない。ただ子どもの頃に茶室の入口が低いせいで兄が泣いて転げ回るほど強かに頭を打った時から祖母が茶室に似合わないウレタンを貼ってくれた。もう子どもじゃなくなってもそれはずっと残っていた。
 
先の大きな災害があった場所からほどほどに近く、人死が出るような大きな被害はなかったものの漆喰がひずんではがれるなどの影響が出ていた。それを見て多分ほかにもガタが来ていると判断した親戚から、ついに建て替えると連絡を受けて最後に家族に仏壇に参って墓参りも行くことにした。家族揃って遠出をするのはもう十何年ぶりのことだった。久しぶりなことに身構えていたが、思っていたよりもことは穏やかにすんなりと進んだ。

祖父の葬儀の時、よだかは行けなかった。行かなかった。仕事がどう頑張っても終わらなかった。泣き着けばどうとでもなっただろうけどこの時久しぶりにメンタルがベコベコにやられていたことで泣いてパニックになりながらどうにも出来ずにお花だけ送った。行けばよかったなと今更な後悔しているが、あの時のよだかにはどうしようもなかった。どうしようも無いほどに言い訳にしかならないのだけど。お墓参りにもろくろく行かず、祖父が死んでから初めてちゃんと挨拶に行った形だった。

立派な広縁がある部屋が祖父の部屋だった。庭には大きな松の木がある。茶室の隣にはちゃんと水屋がある。人に自慢したくなるような祖父母の家だ。遊びに行く度いろんなところを遊んでいた家だ。古い家でトイレも暗いし階段は怖いくらい急だ。祖父母が居なくなってもまだ、ちゃんと記憶のままの家だった。

今回はいろんなところを触って撫でて、古い畳の匂いを感じながら今度こそ後悔をしないように、写真も沢山撮った。たくさんのことを思い出してきた。思い出せることが嬉しかった。

もう間もなく取り壊しの工事が始まる予定とのことだ。兄を守るためのウレタンは今もまだ貼られたままだ。畳む

日記